本掲示板は震災直後の2011年4月、混乱時期に会員へ向けた情報の発信を目的として、設置しました。現在、その役割を終えているところですが、被災者支援の状況について広く情報を発信、共有することなどを中心に継続し、設置しております。
なお、現在、災害対策本部は設置されておらず、災害支援対策委員会が設置されており、災害支援に関する各種役割を担っております。(2015年3月)
福島県社会福祉協議会の広報誌「はあとふるふくしま」H25年度6月号に,
OTの知恵袋が特集されました.
本誌の発行に至る経緯や思い,また作業療法についても記載されており,
実際に活用されているサロンの方々の声と写真も掲載されています.
福島県社会福祉協議会のホームページからも見ることができますので,
ぜひご一読下さい!!
http://www.fukushimakenshakyo.or.jp/4000/4201.html
今年度をもって竹田病院・中央病院と楢葉町にて契約締結していたサポートセンターでの定期的な支援活動が終了という形になります。
今後は会津・南会津支部としての活動は専門職チームでの活動が主体となりますので宜しくお願い致します。
コメント
会津中央病院と竹田綜合病院の皆様、1年間の支援活動ありがとうございました。本当にご苦労さまでした。
今後もいろいろな形での支援活動の依頼があるかもしれませんが、その時は宜しくお願いします。
とりあえず、一区切りができて良かったです。
「支援に携わっている人に今の楢葉町を見て欲しい」と企画されたツアーに参加してきました。楢葉町の方の案内で、他の色々な団体の方と一緒に楽しく過ごしてきました。
今の楢葉町は自由に行き来はできるものの宿泊はできない事になっています。除染作業が懸命に行われていて、一部地域ではライフラインも復旧しています。
小高い山々はたくさんの山桜とわずかの新緑に彩られとてもきれいで、田畑がたくさんあり、海があり、温泉があり本当に良い所と実感しました。しかし、行き場の決まっていない放射性廃棄物の黒い袋の山の数の多さ、瓦一枚一枚手作業で拭いている除染作業、現実の厳しさを目の当たりにしてきました。
楢葉町の方の「早く帰りたい」と涙ぐみながら訴えた言葉、「関心を持ち続けて欲しい」「作業療法士さんは支援は終わったと思わず、いつでもサポートセンターに寄ってほしい」と頂いた言葉を重く受け止めています。
今後、私たちにできる事は何か、答えはなかなか見つかりませんが、とりあえず多くの皆さんにこの現状を伝えなくてはと思い久しぶりに投稿しました。
コメント
尾崎さんと同じく、ツアーに参加させていただきました。
初めて現地の状況を目の当たりにして、言葉では言い表せない複雑な気持ちになりました。
あるのに住めないという町の雰囲気、田んぼにどんどん積み上げられていく、行く先のない黒い袋。
一方で、除染作業をしている作業員の方の懸命な姿、『がんばっぺ』や『復興』と大きく書いてある家の土台(コンクリート)、それを応援しているかのように菜の花など野花が咲きはじめている風景に、力を感じる場面もありました。
何ができるか…今はわかりませんが、今回のこの気持ちが風化していかないよう、関心を持ち続けていきたいと思います。
このように黒い袋は、田んぼやテニスコートであった場所など、ところどころに集められていました。風景に会わないこの黒が印象的でした。
天神岬から前原地区をみているところです。
遠く煙突がみえる場所が火力発電所です。
当時の様子や現状、さまざまな想いも教えていただきました。
この企画の計画・実行に携わってくださった方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
コメント
はじめはDVDの「きずな体操」から開始です。毎日の習慣になっていて、20分程度の内容をほとんどの方が覚えています!皆さんとてもパワフルです。
>>1
脳トレ、風船バレー等白熱した試合の後に、Activityとして折り紙で「くす玉」を作ってきました。周りの方と教え合いながら、和気あいあいとした雰囲気でした。
>>2
完成!!あとはひもを通してつるします。
>>3
今後も月1回程度で支援チームでの訪問予定です。
皆さんありがとうございました。